グラフィックデザインの仕事をさせていただくとよく感じるのが、「紙」の持つ力です。
例えば校正。
印刷物のデザインは、パソコンでレイアウトしていきます。
画面上で、よーく見直して修正も終わって、
よし校了!とプリントしてみると、
なぜか画面では見つからなかった間違いやミスが、ポロポロポロポロ見つかる事がよくあります。
不思議だなぁと思って調べてみますと、光の反射の違いが関係しているそうです。
以下引用抜粋
人間の目は光によって物質の色や存在を認識します。
紙に書かれた文字を認識する光は反射光と言います。
反射光で文字を読むとき、私たちの脳は「分析モード」になり、心理的モードは「批判モード」に切り替わるそう。したがって、ミスを見つけやすいんだそうです。
これに対し、透過光とは、モニター画面から発せられる光線が、私たちの目に映像として入ってくるものをいいます。この場合、私たちの脳は自動的に「パターン認識モード」心理的には「くつろぎモード」に切り替わります。
パターン認識モードとは、細かい部分は多少無視して、全体的なパターンや流れを追うような読み取り方をいいます。何となく全体の流れを追うだけになってしまい、細部にあまり注意を向けることはできません。したがって、ミスを見逃してしまうということになります。
引用:世界のしくみが見える「メディア論」―有馬哲夫教授の早大講義録 (宝島社新書 252)
なかなか興味深い考察ですね。
それ以外にも紙の実体としての存在感も五感に訴えかける何かがある気がします。
こんな発言記事をネット見かけたことがあります。
近い未来、インターネットであらゆるやりとりが普通になると、紙の印刷物が逆にすごいって思われるようになるかも。
小さなスペースに情報をまとめたり、それをリアルな空間で表現していることのシンプルさが逆に価値になるという主張です。テクノロジーの発展は、五感に訴えることをロボットやITで拡張しようとしています。それくらい感覚というのが人間にとって重要だということに他なりません。
名刺は必ず人の手から手にわたるものです。
元々は「初対面で自分の情報を相手に伝える」「人脈となり、これ以降相手に連絡しても良い」という価値でした。
SNSや名刺をスキャンしてつながるサービスなどが普及することで上記2つの価値はネット上に拡張されました。では現実世界の名刺は必要ないのでしょうか?
個人的にはそんなことはない、と思えてなりません。
便利さやツールは、リアルに体感することで時に想像以上の価値を我々にもたらすように進化します。
防寒着が装飾品に進化したように。食事がコミュニケーションの場へ進化したように。
ツールとしての価値をクローズアップされたことで逆に浮き彫りになるリアルな名刺の価値。私たちがデザインしたいリアリティは、それを表現することに他ならないのだと思います。
シンプルなデザインでインパクトを。
ユニークな名刺で記憶に残るマジマジ。